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孫娘達の「頑張り屋さんたち」。

 爺さんの自慢話ではありますが、このほど、娘の次女⁅孫)が、立教大学の推薦入学選考に合格したとの知らせが入りました。
昨年は、長女の孫娘が、やはり、9月には早々と成蹊大学の推薦入学に受かって、今年4月に、晴れて大学生になりました。
姉妹とも福岡は西南学院高等部の、昨年から高3、高2の受験生ではありましたが、両孫とも小学生時代から取り組んでいたハンドボールの部活もやっており、文武に励みながらの高校生活でありました。
 今回、長女に引き続き、次女の孫娘も何とか西南学院内の学内選考での大学への推薦入学選考に選ばれて、、、田舎の爺さん・婆さんも喜んでいる次第です。
 ほんとに姉妹とも、学業も一生懸命に励んでおり、ハンドボール部としても、福岡県代表で、九州大会や全国大会にも選出されるほど、福岡県でもトップクラスの成績で、本人たちもレギュラー選手として、チームの要として活躍しており、、ほんとに文武両道に邁進している姿は、外野から見ると、かわいそうに感じることもなこともありました。    聞けば、毎朝、早く早朝授業もあり、通常の学年授業をこなすと、夕刻からは部活練習に精出し、夜7時ごろからは、夕食を掻き込んで、学習塾に通う毎日であったようであり、こちらもいつもハラハラ気を悶んでいる次第でした。  女の子として、少しは成長期であるだけに、穏やかな日々も持てずに、勉強と運動に明け暮れた高校生活であったようです。
 中学時代までは、良く、夏休み、冬休みなども爺や婆やの所にも来てくれましたが、このような学業が休みの時などは、今度は合宿・遠征試合などで、田舎に顔をだす事もないほどの、精進ぶりでありました。
 二人の孫娘達も、本人たちは、なんの負担や苦労も感じずに、両方に励んでいました。  二人とも、東京の大学を目指しており、、何とか、学内選考で、姉妹とも推薦入学が許可いいただけたことの評価は、おおいに褒めてあげたいと思います。 
彼女らが、懸命に励んだことでの「合格」という栄冠を勝ち得たことを祝福したい気持ちです。   女の子で、受験地獄の最たるを交えることなく、推薦入学ですんなり決まったことも「快挙」と思います。

 この上は、最後の高校生活があと半年ほど、残っているわけです.晴れやかな「声」の電話での快挙の知らせを本人から聴きました。  爺さんとしては、これからは、受験勉強から解放されたのだから、まずは、今まであまり教科書や参考書など以外の「本」を読んだことのない高校生活であったのだから、これからは、自分が興味を持ったものから「読書」に精出しなさいと忠告しました。
 自分の高校時代は、日本文学から入り、世界文学全集などを「乱読」したモノです。   その事が基礎となって「本を読む」という事に「親しみ」を覚えて、以後の「人生の趣味」ともなりました。
この事は、やはり、手紙を書いたり、今も拙いブログですが、八十路を迎えても、「文章を書く」事が楽しく平気にこなせるようになっている事、などを孫娘に話しました。お祝いを兼ねて、その本代を少々、送る事でした。
 
 長女の孫娘は現在、成蹊大学の1年生ですが、今春からのコロナ騒ぎで、未だに成蹊大学のキャンパスでの授業は開始されていなくて、インターネットを活用してパソコンによる授業で、可愛そうです。   まずは大学構内にも行けずに、学友とも交流もできないし、部活動などはさらに困難になっているとのことで、異常な大学生活を余儀なくされています。
 早く、コロナ禍が収束されて正常な普段の生活が取り戻せなくてはならない事態ですね?!

 次女の孫娘、この連休、早速、はじめての上京で、合格内定をもらった立教大学などを見学に向かったとの事です。
晴れて来春、入学する池袋駅近くのセントポール立教を喜び勇んで「訪問」している事でしょう。
 爺さん・婆さんとしては、二人の孫娘達に、「拍手」を送りたいと思います。
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台風10号襲来で2晩の「ローソク生活」.

 先日の台風10号は、はるか南方海上にある時から、気象庁はじめ、マスメディアも盛んに、「今まで経験したことのないほどの驚異の台風である」との報道で、全国各地、避難所開設など万全の防災対策が執られました。
 実際は、本土直撃ではなく、沖縄海域から、東シナ海を北上して、朝鮮、北朝鮮、中国などを縦断して、やがて、「温帯低気圧」となって消滅したようです。
予報では、九州縦断も考えられましたが、「台風銀座」の当地鹿児島では、一時確かに、強風はありましたが、中心から逸れていたことで、自分らにとっては、「そよ風程度」の台風でした。  あまりにも事前の告知が「今回は特別だよ!!」との思いを抱きましたので、最近はなかったことですが、自宅でも各部屋の「雨戸」を引き出し、窓ガラスなどの保護にあたりました。
 結局、当家では、玄関先に在った鉢植なども、殆んど斃れることもなく、台風は北上してゆきました。

 ところが、ちょうど台風が薩摩半島沖を通過する頃の夜になって、当地では停電が起きてしまいました。 台風が一番近くの東シナ海を北上する夜中は、「しょうがないかな?」と諦めて、敢えて準備していたローソクに火をつけ、明かりをなんとか確保していました。
電気だけではなく、「水」も風呂の浴槽に張り、自宅内にある数々のバケツや大きなヤカン、鍋などにも「水」を満タンにして、備えました。  
 ところが、翌朝、台風が去って、当地での風雨も収まった段階でも、当地周辺の「停電」は一向に復旧せずに、2晩目も「ローソク生活」を強いられる羽目になりました。
 情報によれば、日置市内でも伊集院町や吹上町でも伊作地区などの市街地は「停電」になっておらず、日置市内でも当家のある永吉地区、小野地区など、ごく限られた、所謂「過疎地」だけの停電であることが判明しました。
独占企業である九州電力の会社に電話しようとしましたが、宅内電話、携帯電話の両方とも「不通」であり、何時になったら「通電」されるのか、聞きたいと思いましたが、それもできず仕舞いでした。
 冷蔵庫の中身も不安でしたが、2日目になって、買い物に出かけようとしたところ、車庫も「電動シャッター」になっていることに、気づき、車も出せない有様でした。  結局、2日目の夜も「ローソク生活」でありました。水は、当地でも「異常なし」であり、ガスもプロパンガスであり、これらには、不自由しませんでした。
ただ、電気がつかないということ、一晩ならまだ、我慢ができるでしょうが、これが二晩となると、どうしても、電力会社の対応が気になります。
 3日目になって、今日は午前中でも通電されるだろうと、まじめに、多少のイラダチを感じながら、回復を待ちましたが、なんの連絡(市役所所管の有線放送など)もなく、午後になりました。
今夜も3日目の夜も「ローソクかな?」との思いが頭をよぎり、「イラダチが怒り」に完全に変心してゆきました。
 数年前の台風の時も当地では3日間ほどの「停電」が起きました。
これほどまでに何故、復旧しないのか?、できないのか?、思えば、思い当たる事がりました。
終戦後、台湾から鹿児島に引き揚げて来て以来、ルース台風などの時の「思い出」などもありました。何回も台風の襲来に襲われました。 終戦後の十数年間は、それこそ、台風が来るたびに、南九州はことごとく「停電」となり、それが地元でrは「常識」と思われている「ふし」があります。
半ば、住民が停電は仕方がないとの「認識」があるという事を電力会社も承知していて、「平気で停電」をごく、「当たり前」のように扱っているのではないか?」と勘繰るほどの、「怒り」が湧いてきました。

 このような停電は、いつも当地のような「過疎地」で起きている。それもその復旧については、何よりも「早く正確に!」という意識が、この独占企業である電力会社にはないということまで言えると思います。
 よくよく考えると、戦後の混乱期などであるならばいざ知らず、先進国家となっている現在の日本中で、ある程度の台風で、2昼夜も「停電」が継続している事自体、独占企業の九電の防災意識の欠如と実際に当たる下請関連会社の拡張や育成に無神経であると言わざるを得ない事態であると思われます。
 というのは、市街地は停電がありませんでした。  これは、送電線や送電装置⁅電柱などの機材などの「経年劣」化という事態は必ず存在します。  例えば電線ひとつとっても、ほぼ5年で取り換えるkとになっているらしいのですが、市街地はその通りでしょうが、過疎地もこの「取リ替え基準」が正しく履行されていれば過疎地だけが「停電」になるとう言う現象は起こらないはずです。
現実には、台風が到来すれば、いつも停電なるのは、何故「過疎地だけなのか?」という疑問について、会社はどのように答えられますか?!
 この送電線設備の「経年劣化」に対する電力会社の「不平等性」や、工事専門下請け工事会社の普段からの充分な育成と人員の確保などの災害時のおけるこの一番、あってはならない「停電事故」に対する認識の甘さなどが指摘できるでしょう。

 生活の基本である電気・ガス・水道に対する従来の日本政府の考え方は、それだけ、「重要」であるとの観点から、水道は行政主体(地方公共団体など)、都市ガス、電力は、地域を決めての独占会社の供給という事で、「使命」を負わせている「公共事業」であります。
 この「独占企業」という認識の上に立てば、何よりも市民の生活を死守するという社是があるはずであります。  それがともすると、電力会社にとっては、具体的には、送電設備投資などは際限がないわけであり、企業論理からすれば、「企業投資」もそこそこにという意識が働き、電力会社の場合、この設備投資についての考え方が、大都会と過疎地では、その扱いに「格差」があることを意識せずにはいられません。
 市民生活の最前線を司る事業であることを、大いに認識してゆくべきと思われます。
今回は、結局2泊3日の「停電」でしたが、大きな幹線の送電線などは、ビクともしていない現状でしたのに、何故、このように利用者に不便を掛けさせたのか、支線の中での「停電」を喚起する「原因」があるはずです、これについて、根本的にその「要因」を払拭すべく、会社は、過疎地への送電線などの点検を怠りなく励行すべきです。
 本来であれば、電力を供給することができなかった「期間」については、毎月の基本料金の日数分などは、請求金額から減じるべきことであるとさえ、思いたくもなります。「停電」とは、独占企業にとっては「自己責任であり、その保証が付保されるべきである」とも思えます。  しかし、このような事は、今までも一度もないと思います。

 結論jとしては、送電設備、危機管理などは、全国一律に、充分に配慮して、災害時の対応も、いち早く市民に通知しながら、復旧が早急にできる会社の意識と工事態勢⁅下請け会社管理など)を怠りなく進めるべきと思われます。
 九州電力会社の猛省を促したいです。

「オペラの鑑賞講座」の軌跡(そのⅡ)

「オペラの楽しみ」の鑑賞講座(そのⅡ)

 この「項」に入る前に、御断り申し上げたい。実は、この「オペラの鑑賞講座」の軌跡⁅その1)を書いた後、、今日(8/31)までインターネットの接続ができずに、なかなかブログの「更新」ができませんでした。   「そのⅡ」が遅くなって、すみません。
接続不良の原因は、やっと判明しました。雷がモデムの接続コードに支障をきたしていたようです。
これまで、契約しているプロバイダーから、2回も「モデム」を取り返ししてもらいましたが、ケーブルの支障で、このようなネット接続が「不良」となっていたわけです。
 遅くなりましたが、「オペラに鑑賞講座の軌跡」(そのⅡ)を綴ります。

 前頃で2003年(平成15年)以来、鹿児島国際大学の生涯学習講座の今や、自主講座で、なんと17年間も継続して、「オペラの楽しみ」講座を、松原武実教授の親切なご指導により、受講できてきました。
 今年ははじめからの、「コロナ禍」によるこの授業も今のところ、「休止」となっていることで、授業も「中断」されていることで、この際、最初から受講している自分としては、この今までの「授業の実態を具に集約してみました。  それを時系列的に、さらに取り上げた作品の作曲家別などに分類しての「作業」でした。
今回は、その集計結果についての「お知らせ」と自分なりに、この17年間、松原先生に教わりながら、受講生の仲間たちと学んだ、オペラについての「自分なりの(想い)」も、少々、書き加えました。

 まずは、時系列的な「授業の実態」について、言及します。
最初の講義が始まったのが、2003年⁅平成15年⁆4月からです。 当初、授業でとりあげられた「作品」は、1700年代のグルック作曲の「オルフェとエウリーディーチェ」でありました。  「オペラは、歌(音楽)とセリフ(演劇)で持つ舞台芸術」ともいわれていますが、これは、「ドラマ性」を重きにした初期の時代に作品」でした。
日本ではオペラのことを「歌劇」とい呼称で一般的になっています。
その後、さらに、モーツアルトの初期の作品、「ポントの王、ミトリダーテ」や「インドメネオ」などでした。
これらの作品で、「オペラの概要」を提示されながら、その後、イタリアやドイツオペラの真髄とも言える、名曲の数々が次々と続いて、授業に充てられました。 
 ヴェルディの 「リゴレット」、ドニゼッティの「ルチア」「愛の妙薬」、ベッリーニの「ノルマ」、ヴェルディの「椿姫」、ロッシーニの「セビリアの理髪師」、モーツアルトの「フィガロの結婚」、ビゼーの「カルメン」、プッチーの「トゥランドット」ヴェルディの「ナブッコ」と続いています。まさに、オペラの「名曲」が続き、新たに自分は「オペラ」に執心し始めた頃の、「名曲を見聴く貴重な機会」でした。  このころから、オペラが好きになったようです。

 ここで、松原先生から今まで教わった、「オペラとは何ぞや?」という設問について、少し、考えてみたいと思います。
 
先に簡単に書きましたが、「オペラとは、歌とセリフの舞台芸術である」ということに尽きるかとも思えますが、もう少し、細かく、「解剖」したいモノです。
 元々、特に、ヨーロッパなどの西洋諸国では、音楽とは、歴史的にみれば、神への祈りから始まった宗教や教会の音楽であり、その後は、貴族社会における「宮廷音楽」が流布するようになって、それが、演奏会やコンサートということでの市民レベルまで浸透するようになった西洋音楽の歴史です。
その中で、オルガン(最初はハープシコードなど)からピアノ、ヴァイオリン、ビオラ、管楽器、打楽器などの音楽を多彩に奏でる「管弦楽」が発達してきました。
 その音楽性の中で、器楽の演奏のみならず、太古の昔から、人間が「声」発しての「歌、唄、詩、唱」などと表現される音楽が発達して、さらにそれをただ唄うだけではなくて、舞台での「独唱、輪唱、二重奏、合唱」などとの形態で、聴衆に披露する「芸術」が確立してきました。
その当初のオペラは、やはり「ギリシャ神話」の「戯曲」ともいえる「オペラセリア」とも呼ばれる具体的な表現方法の、「朗詠」(レチタティーボ)と言われるオペラでしたがさらに、これに対して、「アリア(詠唱)」「独唱」「重唱(アンサンブル」」「合唱」などというように、通常の「歌唱」というオペラが主流となっていったのです。次第に、これが舞台で上演されることで、多く市民の支持で、世俗的な内容となったブッファ(喜劇的)な要素が加わるようになってきました。
それの代表的な作品が、モーツアルトの「フィガロの結婚」「ドンジョバンニ」などであります。
 これらのモーツアルトやグルック、ベートウ―ベンなどのドイツオペラ、本場のイタリアオペラ、喜劇的に有名になったフランㇲオペラ(オペレッタなど)の全盛時代となって、さらに、オペラの華やかな舞台芸術とも言われる「楽劇」としての「グランドオペラ」として、例えば、ワーグナーなどの
作品(タンホイザーなど)やヴェルディの「アイーダ」などの作品群などが、人気となってゆくのです。
 自分の今迄の授業の経験では、やはり、イタリアオペラが世界の主流を占めていると思われます。
なかでも、ヴェルディの作品群には、ほんとに親しまれる曲は多いと感じています。
まずは、オペラを語るには、ヴェルディの作品を良く鑑賞することが肝心と思います。
オペラも持つ「物語性」とその表現としての「音楽性」には、感嘆させられている心境です。

 その後、17年間においての先生の「授業」で採用された作品群で、多い回数は、次の通りのベスト15曲となっています。

 順位 取り上げ回数 曲名     作曲家    時系列経過
 第1位   5回 「愛の妙薬」 ドニゼッティ 2004,2006、2007、2012、2015、
 第2位   4回 「椿姫」   ヴェルディ  2004、2006、2007、2011
  2位   4回 「アイーダ」 ヴェルディ  2007, 2012 ,2014, 2018,
2 位   4回 「オテロ」  ヴェルディ  2004.2012、2015,2018、
  2位   4回 「神々の黄昏」ワーグナー  2009、2012、20112018、
  2位   4回 「ルチア」  ドニゼッティ 2004、2010、2015,2016、
  2位   4回 「ノルマ」  ベッリーニ  2004,2006、2010、2015
  2位   4回 「トゥーラント」 プッチーニ 2004、2006、2011、2012、
  3位   3回 「ナブッコ」 ヴェルディ  2005,2007、2014
  3位   3回 「エルナーに」ヴェルディ  2010、2018、2019、
  3位   3回 「リゴレット」ヴェルディ  2004、2008、2012、
  3位   3回 「フィガロの結婚」モーツアルト 2006、2008、2015、
  3位   3回 「清教徒」   ベッリーニ 2009,2013,2014、
  3位   3回 「カルメン」  ビゼー   2004,2007,2016、
  3位   3回 「こうもり」 ヨハン・シュトラウス2005、2015、2016、

 この結果は、松原先生も当初から考えられていた事ではないと存じます。 結果として、このような「集計結果」でありますが、良く考えると、自分としては、ほんとに、興味津々、得るべくして出た「結果」であるとも思えます。 
 自分も大好きな曲の羅列であり、その場に居れた事、ほんとに「幸せ」と思っています。
特に、印象的な自分の大好きな曲ですが、勝手に挙げさせていただけば、次のような「曲」であります。例えば、一位の「愛の妙薬」のなかで唄われている「人知れずの涙」やヴェルディの「椿姫」の最2幕の中で、主人公アレフレッドの父親ジェルモンが、わが息子に「故郷」へ帰るように、穏やかに説得して唄う「コロバンスへの海と陸」のアリアなど、さらに、やはりヴェルディの「ナブッコ」の第2幕で唄われている「行けわが想いよ、黄金の翼に乗って」の有名な合唱曲などは何度聞いても、聴きたい曲です。 さらに、身近な所では、自ら言えば、名曲ではないかも知れませんが、「どろぼうかささぎ」(ロッシーニ作曲)と大曲の「運命の力」(ヴェルディ作曲)の両方の「序曲」も大好きな「曲」です。
                    ―― 2――
                              
 いずれにしても、この17年間で、延べ104曲も視聴できたことなど、およそ、「オペラの楽しみ」講座でもなくても、今までのどこにもないほどの画期的な稀有の曲数であると思われます。   ほんとに長年、松原先生は、我々の意向を真摯に受け止めていただき、このような膨大な数のオペラを繰り返しながら、ご説明いただき、楽しませてくれているのです。

 次に、この17年間に及ぶ、「オペラの楽しみ」講座の作曲家別に集計した結果は次の通りです。
やはり、最多の登場曲数としては、「オペラの代名詞」とも言われているイタリアオペラの真髄であるヴェルディ作曲の作品が最も多く取り上げられています。
 多い順から列記しますと、ヴェルディでも「椿姫」「アイーダ」「オテロ」それぞれ4回、「ナブッコ」「エルナー二」、「リゴレット」それぞれ3回、「トラヴァトーレ」「仮面舞踏会」「運命の力」「ドン・カルロ」「フォルス・タック」などがそれぞれ2回、「シチリア島の夕べの祈り」「シモン・ボッカネラ」「マクベス」「ルイザ・ミラー」などがそれぞれ1回とっています。
取り上げられたヴエルディの曲数が合計で、32曲の最多数になります。

 次はワーグナー作曲の「神々のたそがれ」4回、「ローエングリーン」「ワルキューレ」「ジークフリート」「ラインの黄金」がそれぞれ各2回、「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」がそれぞれ各1回となっています。
さらに、ドニゼッティの「愛の妙薬」5回、「「ルチア」4回、「アンナ・ボレーナ」2回。「「シャモニーのリンダ」「ロベルト・デブリー」「ルチア・ボルジュア」各1回であり、合計ではワーグナーと同数です。
ワーグナーのグランドオペラは、その圧倒的なㇲペクタルな場面と、合唱などを多用していて、ほんとに「楽劇」にふさわしい壮大なオペラという印象です。
 4番目としてはロッシーニ作曲の作品で、「セルビアの理髪師」「タンクレディ」「どろぼうかささぎ」がそれぞれ2回、「ランスへの旅」「ウイリアム・テル」「「オレは街のなんでも屋」「「オリ―伯爵」「モーゼとフェラオ」などが各1回となっています。
ロッシイー二―のオペラは、どれもメロディが豊かで、親しみやすいのが特徴であります。
 5番目は、モーツアルトで、「フィガロの結婚」が3回、「クレタ王のイドメネオ」「「ドン・ジョバンニ」「魔笛」がそれぞれ2回、「ポントの王ミトリダーテ」「コシ・ファン・トウテ」がそれぞれ1回となっています。
特にモーツアルトは若干、14歳の時の作曲の「ポイント王ミトリダート」など、このような幼い頃からの作品が、注目を浴びている事、彼の「神童ぶり」が伺われます。
 6番目はベッリーニの「ノルマ」3回、「清教徒」3回、「夢遊病の女」が1回の、合計8回です。
特に「ノルマ」の名曲は、良く「オペラの代表曲」との言われるほどの上演される機会の多い作品です。
 7番目が、リヒャルド・シュトラウスで、「エレクトラ」が2回、「サロメ」「バラの騎士」「ヨゼフの伝説」「影のない女」がそれぞれ各1回となっています。
 8番目が、プッチーニで「トゥランドット」が3回、「トスカ」「外套、修道女」がそれぞれ1回で、合計5回の登場でした。  あの「誰も寝てはならぬ」のアリアを唄うハバロッティの朗々たる歌唱は、印象的です。
 9番目がビゼーで「カルメン」が3回、「真珠とり」が1回となっています。  「カルメン」が超有名ですね? あの底抜けの「明るさのオペラ」も観ていてほんとに「楽しいモノ」です。
 10番目は、オッフェンバッハであります。   彼の「美しいエレナ」が2回、「天国と地獄」が1回となっていますが、「天国と地獄」の曲は、幼い頃から、小学校の「運動会」などでもよくレコード演奏がなされた、皆さん、お馴染みの曲ですね?!
 同じく、10番目に、マスネーの作品が取り上げられています。  ウイルアム・テルが2回、タイスが1回となっています。  タイスの「瞑想曲」はクラッシックファンであれば、誰でも親しんでいる「名曲」ですね?!
 そのほかでは、グノーの「ロミオとジュリエット」、「ファースト」がそれぞれ、各1回でした。
 さらに、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」が3回ありました。
次は11番目で、チャイコフスキーの「オルレアンの少女」「スピードの女王」がそれぞれ1回です。
あと、ヤナーチェックの「イヌタファー」と「利口な女狐物語」がそれぞれ1回です。
サンサーンスが「サムソンとデ二ラ」が2回あります。
ベルリオーズの「トロイの人々」「ベンヴェタート」の各1回の合計2回です。
レオン・カヴアルロの「道化師」が2回となっています。ベートウベンの「フィデリオ」が2回となっています。
ムソルスキーの「ポリス・ゴドノフ」が1回、レハールの「メリー・ウイドウ」が1回、アンドレア・シューの「ジョルダーノ」が1回、シューベルトの「アルフォンソとエクストウ」が1回、ベルコージの「リヴェリアとトラッコ」が1回となっています。ワンバーディングの「ヘンデルとグレーテル」が1回。グスタス・マーラーの「子供の不思議な角笛」が1回、スメタナの「売られた花嫁」が1回、最も古いモンテヴェルディの「ポンペイの戴冠」が1回、ベンジャミン・グルテンの「ピーター・プライス」が1回、グルックの「アルチンステ」が1回、ドボルザークの「ルサルカ」が1回、ストランビンスキーの「夜鳴き鶯」が1回、となっています。

 以上が、作曲家別に集計した「授業の回数」です。
 この結果からみても、御気付の事かとも思いますが、世に言うクラッシック音楽の世界の中で、有名な作曲家の中でも、特にドイツ系の作曲家の中で、バッハに続いて、ブラームス、ブルックナーなどは一切オペラは作曲していないし、べートウベンやシューベルト、リスト、シューマン、メンデルスゾーンなども、殆んど曲を残していません事が指摘されます。
今回の「授業実績」でも、ベートゥべンだって、「フィデリオ」のみが取り上げられただけです。

 いずれにしても、今回の我々の「オペラの楽しみ」講座の長い期間に亘っての「落第の日々」を17年間も
継続出来ている事、皆様も「びっくり」されておられるかと存じます。
 松原武実先生という、ほんとに真摯な民族音楽の権威であられる音楽の専門家の先生が、若い頃から心酔されておられる「オペラ」について、かくも長期間、営々と我々受講生に親しく、教授していただき、これほどまでに、いろいろオペラのすべての真髄を教えていただいている事、ほんとに感謝の至りであります。

 今後も、今の「コロナ禍」が無事収束して、大学キャンパスも平穏に、授業が再開できる「時」が到来すれば、先生も、この授業の継続を了承されておられるので、また馴染みの仲間たちと共に、オペラを楽しみたいと切望しています。
 おい互いに努力で、早くこの「災い」を除いてゆきたいものです。      

「オペラの鑑賞講座」の軌跡。(その!)

 時々、このブログでも、触れてきましたが、標題の「オペラの鑑賞講座」の受講は、2003年(平成15年から、今の2020年(令和2年)年に至るまで、なんと、17年間も営々と続行しています。
 当初の2003年⁅平成15年4月⁆に始まったこの「オペラの楽しみ」という名でスタートしたこの講座は、当時の鹿児島国際大学短期大学部学長の三木靖学長、教授の指導で発足した、「生涯学習講座」のひとつの「科目」であります。
 この生涯学習講座は、その年以前から、一般学生の正規な授業のほかに、社会人向けに大学を解放されて開始された自由参加による鹿児島国際大学独特の「講座」でありました。

 小生は、2000年(平成12年)にそれまの40数年に及ぶ関東在住生活を切り上げて、「ふるさとの吹上町」に帰郷して以来、最初、この大学での生涯学習講座の「鹿児島県の歴史」講座⁅一般学生と同じ授業を同じ教室で学ぶ、「共修講座」(先生は三木靖教授)の授業を2年年間、受講しました。 
 この受講理由は、40数年ぶりに帰郷した時、地元のある先輩から、「お前のふるさとは、歴史豊かな土地である、ついては、「郷土史」を学べ!}という指示をいただき、三木靖先生を紹介されての、この「生涯学習講座」を受講したのが、鹿児島国際大学のこの生涯学習講座への参加の「キッカケ」でありました。

 その時、この「歴史講座」のほかに、パンフレットを見たら、自分の大好きな「クラッシック音楽」についての「西洋音楽史」の講座が眼に入り、その講座も受講することになりました。
 つまり、毎週1回、「鹿児島県の歴史」のほかにその「西洋音楽史」講座も受けることになって、吹上町から、毎週2回、鹿児島市谷山、坂之上の鹿児島国際大学の校舎まで、車で片道1時間ほどの行程で「j通う」ことになりました。

 高校時代からクラシック音楽が好きになり、大学時代も鹿児島県人学生寮、同学舎で同じ趣味の仲間と、当時の「労音」の会員になり毎月、都内周辺で開催されるコンサートやリサイタルなども生のクラッシックを楽しんでいました。 
社会人となって、「労音」は演奏期日も予め「指定」されての「演奏日」であり、仕事の都合で、急に「キャンセル」することなどが続き、、「労音」会員であることは無駄になったことで、それ以降は、自分の都合に合った演奏家と演奏会の日時を選定できるコンサートだけのチケットを購入しての演奏会に行っていました。  現役を退くまで、つまり在京時代は、関東周辺での自分が好きな演奏家や楽曲や楽団の演奏会などを見つけては、それこそアチコチ、演奏会を聴きに出掛けたものです。
 今までの、最高の思い出は、当時息子も高校生になっていて、彼もクラッシックが好きになっていましたので、親子二人で、ちょうど何度目かの来日でしょうが、ヴァイオリンの世界的名手であったメニューインのリサイタルで、東京世田谷区の昭和女子大の会場で、自分が大好きなべートウベン作曲のヴァイオリン小品の名曲「ロマンスヘ長調」で直接の巨匠の演奏で聴けたことが、最も強列な記憶となっています。 この曲は、高校時代に観た音楽映画「ここに泉あり」⁅群馬交響楽団の実話をもとに製作された東宝映画、⁅岡田英次、岸恵子主演)で演奏された「ロマンス」をjはじめて聴いて、「こんな美しい曲があるものか?」とクラッシックファンともなった、最初からの大好きになった「楽曲」であります。  今でも自分にとってはべートウベンが最高の好きな作曲家と思っています。⁅ただし、オペラの楽曲は少ないけど)
 さらに、加えて、中年になってからですが、高校時代の同級生の末吉(旧姓川畠)和子さんの甥子のヴァイオリニスト、川畠成道君のイギリス王立音楽院の首席卒業者として日本デビューを果たした、サントリーホールでの演奏会を聴いてオドロキました。
彼の素晴らしいひときわ清んだ音色のヴァイオリンの響きに魅了され、その後「おじさんの追っかけ」として、関東周辺の彼のリサイタルは時間の許す限り、殆んど、欠かさずに彼の演奏を聴きに行ってました。
 その後、帰郷してからは、自分らの提唱で、鹿児島でも彼の「後援会」を組織して、今まで、毎年のように後援会の「自主公演コンサート」や昼間にランチを取りながらの「レストラン・リサイタル」などを実施してきました。 後援会の自主運営であり、自分たちで、チケットの販売まで、彼を愛するクラックシファンが中心となって、演奏会を開いていることなども一つの楽しみになっています。
  このような事で、元来クラッシック音楽が好きでありましたので、「西洋音楽史」の講座も、なんとしても体系的な音楽史を学びたいとの「考え」で受講をお願いした次第です。

 まずは、三木先生の「郷土史」の講座も2年間、継続して受講しましたが、一般般学生に混じりながらの授業で、先生は、授業の度に、学生と共に我々社会人の我々のような受講者にも、授業中、イロイロ質問や設問を課せられて、受講生の中で発言も催促される始末で、緊張連続の「授業風景」でありました。
 そのような「講義」を2年間も続けたことで、三木先生とも親しくなり、その後、地元の永吉島津家の歴史や、地元永吉にある山城址の「南郷城址」の探査なども、三木先生が何度もお出で下さり、今も種々、ご指導をいただいております。
 その後、自分も、永吉地区にある「永吉南郷会」(江戸時代から地元に存在した「郷中教育」の流れを汲む、歴史ボランティア団体)の役員・会長なども努めまして、永吉地区の史蹟などの維持管理や、過ってのご先祖の活躍(戦国武将としての島津家歴代領主など)での、関係各地(宮崎市佐土原町、大垣市上石津町、大分市戸次地区など)との交流などを重ねてきました。

 今回の「オペラの楽しみ」講座の話に戻りますが、その前の「西洋音楽史」の松原先生の講座が2年間で、「現代の音楽界」に話までで,その講座が終りました。  その2年間の中でも、先生と自然と親しくなって、講義の終わった後など、先生が都合が良い時などは、先生の「教授室」まで受講生の仲間と共に押しかけて、コーフィーなどを飲みながら、音楽談義に花を咲かすのが楽しみでもありました。
その2年後、「西洋音楽史」の講座が終了する事になって、先生から、来年以降⁅つまり平成15年から9は、今度は「オペラの楽しみ」講座を開設するよ!と言われました。
 正直なところ、小生は、それまで「クラッシック気違い」とも言われるほどでしたが、「オペラ」は演奏時間も長く、言葉のわからないので、さすがに自分から聴こうとも思ったこともありませんでした。 むしろ、あの長い時間が掛かるオペラは、聴いていても「眠くなる事」がしばしばでありました。 実は、 「オペラ」は苦手であったのです。
 松原先生にその旨、申し上げましたところ、先生曰く「それは食わず嫌いだ。 よく聴けば、面白くなるよ!」との御託でした。
最初は、どうなるかな?と、ますは、「半期(6ヶ月)間だけでも受講してみよう」ということで、始まった「オペラの楽しみ」の受講でした。
 この半年間の最初の講義内容は、まずは、先生が選んだ楽曲の紹介⁅作曲家、作品、曲想、曲の成り立ち、あらすじ、演奏家、歌手、監督など)の説明があり、それを収録したDVDを音楽教室の大きな画面と素晴らしい音響設備の完備した教室でオペラの映像⁅日本語の翻訳付き⁆を映しながらの授業であり、思いわず「ものがたり」に引き込まれる事態になりました。
半年で終わりかな?との思いも、どこかへ飛んで行ってしまい、気が付いたら、この通り、17年間も継続して「オペラ」に滅入ってしまっていました。
 今や、大学当局が始めたこれらの「生涯学習講座」システムも、大学全体としてはこの社会人向けの「講座制度」もなくなっています。  我々のこの「オペラの楽しみ」の講座は、まずは、受講生の継続願望二対して、松原教授も同意していただき、共に、大学当局に、特別にお願いして、今までもこのように長く継続している「自主講座」として、特別に認定されている「オペラの楽しみ」講座なのです。
ほかの「生涯学習講座」などで、場所さえあれば、「講座」が開ける、例えば、「語学」と「文学」などのような講座は、何も大学の教室でなくとも各地にある「公民館」などの「集会場」などでも、講座はできますが、「オペラの楽しみ」講座の場合、どうしても、DVDでの映像を映写する設備や、音響の良い場所が必要です。 そうなると、どうしても、これらの視聴覚設備が完備している「音楽室」が授業するには必要なのです。
したがって「生涯学習講座」そのモノは、既にその制度もなくなっていますが、大学当局の特別の配慮で、このような事が認められていて、今も、設備の整った「音楽室」の利用が可能となっているのです。
 大学当局も、受講生の積極的な意向と指導教授の同意があることで、このように特別に許可いただき、続行できているのです。

 指導教師の 鹿児島国際大学元教授、松原武美先生の熱心な毎回の「講義」によって、当初近くからの受講者は10名足らずの少数ですが、今も、毎週1回、90分授業が続いています。受講者は、過去この17年間でその都度、入れ替わりましたが、今は、10名足らずですが、「オペラの達人」とも言えるほどの「オペラファン」の仲間が継続して、受講しています。
毎期、⁅前後期の半年ごとに)一応半期の講義が終了するごとに、先生を囲みながらの受講生仲間での食事会を開催しており、先生と受講生仲間との交流も、親しく続行しています。  「同好の士」の集まりであり、皆さんとは、ほんとに親戚ほどのお付き合いでもあります。   
 鹿児島市内などに住んでおられる方が多いですが、皆さん、遠方の小生の地元の「孟宗筍堀り」や自宅の「梅ちぎり」や「ビワ取り」などにも来宅されて、自宅庭などでバーキューなども皆で楽しむ事などもやってきた「仲間達」であります。

 今年になって、この世界的な新コロナウイルス感染拡大によって、このような自由な今までの生活ができない、通常の経済活動も制限される、未だ過ってなかった事態に陥っていますね?!
 このような「世の中」になってしまって、一時は、「緊急事態」ということで、完全な「自主規制」の生活が日本でも敷かれましたが、その後、ある程度の「感染者の増加」が抑えられたことで、その「緊急事態」が解除された途端に、今度は第二次ブームというか、全国各地で、いわゆる「クラッタ―」などという、病院や施設、や学生寮などの集団で生活している所などが主に、集団的に感染者が増加している状況にあり、その収束の「目途」も絶たない状況にあります。
 今は、学校なども再開されていますが、今年に入って、保育園、幼稚園、小中学校、高校、専門学校、大学に至るまで、およそ、「学校教育」や教育機関なども一時「休止」や「授業取りやめ」などの措置が実施され、今も、満足な学校運営というか、「教育カリキュラム」がどのように停滞しているのか、皆目、判明しない状況に置かれています。
 学校の正規の生徒・学生への授業が満足にできない事態であることで、我々のこの続けてきた「オペラの鑑賞講座」などは、大学当局から、音楽教室の使用を禁じられており、今年度⁅4月以降⁆は、まだ一度も「講義時間」が確保できていません。
今は、授業が「休止」の状態であります。
 今まで、毎週1回は鹿児島市の大学までの「通学」が常でしたが、このような理由で、今まで17年間も続いているこの「オペラの鑑賞講座」について、この際、時間もありましたので、最初から参加・受講している立場の小生でありますので、今までの松原先生の「講義内容」の「軌跡」を集大成して、集計・調査することにしました。
 この17年間、今回の授業空白が今も続いていますが、先生から毎回、受講生に配られたオペラのあらすじやその楽曲に対する解説文などの「教科書」ともいうべき「講義資料」の厚いファイルが5冊にもなっています。  自分も、糖尿病などでちょいちょい入院や、上京・旅行などの時などは授業を欠席したことなどもあり、ほかの受講生の資料提供などの協力なども得ながら、この度、この17年間に及ぶ、松原先生の講義による、「授業内容」というか、オペラの楽曲を、「時系列的に」2003年から2020年まで)」と「作曲家別」に分類した楽曲のすべてを「集計」しました。  そして、まだ講座は継続中ではありますが、これまでの17年間で最も多くの回数を聴いた・鑑賞したオペラの楽曲の「ベスト15曲」も集計しました。        その経過と結果をお知らせしたいと思います。
 これは、おそらく、松原先生ご自身も記録されておられないことと思います。  先生の今までの貴重な、ほんとに長期間、現在も継続している「授業の歴史」を記録したモノであります。   自分でもこのような「記録」を集計したことも初めての事です。
長い時間が掛かりましたが、それだけ、この17年間の中身は、膨大な資料であり、その作品の所縁なども調査しながらの「集計」でしたので、自分でもびっくりすることが多く感じました。先だってようやくその集計・まとめが完了しましたので、松原先生はもとより、受講者の皆さんにも、この記録のファイルの数々をコピーして、お配りさせていただきました。
これは、17年間の、貴重なこの講座の「軌跡」であり、皆さんの努力の「結晶」でもあると自負しています。
 
 松原先生は、実は、元々は「民族音楽」の権威であられ、この我々が受講していた長い期間の中でも、特に各地の地元の「祭り」や「イベント」などにも先生は気楽に出掛けられて、地元の現地での踊りや唄を記録に留められて、それを「民俗音楽」としてj研究・発表されている方であります。   最初の2年間受講した「西洋音楽史」や今の「オペラ」などについての、造詣の深さには、全く、舌をまくほどですが、元々は、この「民族音楽」が最もご専門であられるオーソレティであられます。
 過ってはるか10年ほど前になりましょうが、先生は、我々地元の吹上町の「舟木神社」の奇祭である、「小さな2m足らずの木船の模型を皆で「手渡し」する神社での「祭り」などにも来ていただき、びっくりしたこともあります。  このように、特に、夏休みなどは、先生は、鹿児島県の離島などに今も息尽く「祭り」や「イベント」なども足繁く、ワザワザ探求に行っておられ、その先生の実地にもとずいた研究熱心さには驚愕しているところです。
 また、松原先生は、過って、鹿児島国際大学では音楽科は短期大学部⁅2年制)でしたが、先生は、学内の決定でしょうが、通常の4年制の「大学部」に昇格させるべく、音楽科の教授陣の陣容の確保や、学生の育成などで、特に、鹿児島県での中でも音楽の中で器楽・声楽などの教育制度の頂点に立つ大学へのご努力もされたことも、記憶に新しい事であります。

 ところで、前置きが長くなりました。 
この長い受講歴史(17年間)の実績の中で、感じたことは、オペラのひとつの楽曲でもその曲を終りまで鑑賞するには、1回90分授業では、先生のその楽曲や演者、その曲の「イワレ」なども解説があって、その楽曲は少なくとも2~3回の授業回数の時間を要する事が多く、前後期毎回、半年間で10回ほどの回数の授業であり、1年間でも、20回の受講回数になります。楽曲でいえば、1曲2~3回のコマが掛かると、年間でも10曲程度の受講となります。
 この17年間では、合計、延べの楽曲数の合計は、今回の統計では、104曲となっています。
この楽曲104曲とは、同じ曲が何回も講座に取り上げられてきましたが、有名な曲は、殆んど2回以上、最高が5回もの回数の授業が実施されています。
 ですから、授業回数は、17年間×20回=340回の授業時間の回数となります。  ほんとに、途方もない、継続して、このような長く多い回数(1回90分の)授業を受けたことも、記念すべき回数であると自覚しています。

 さらに、この「時系列的な毎回の授業の時の楽曲」の記録とさらに、今度は、作曲家別に分類し、この17年の時系列の授業結果数をもとに、集計し直しての記録表も作りました。
そして、最後には、この17年間で、先生も意識されたどうか?はわかりませんが、最も多く回数が取り上げられた楽曲のベスト15曲も集計しました。
 これら総合的な集計結果、さらにこれらについてのコメントなどは大量の「資料」となりますので、次回のこの「ブログ」にて発表させていただきます。  オペラに関心がある方、どうぞ、次回のこの詳細な集計結果についても、見ていただきたいと存じます。
  


 

あれから75年・・・終戦記念日を迎えて!!

 今年も、真夏の8月15日を迎えた。 太平洋戦争が終結してから、75年の長い歳月がたった。
この世界第二次大戦とも言われている、世界を大きく二分した「戦争」はその後、米ソや中東やアジアでの東西関係や、民族間対立、宗教上などの対立など、地球規模ではないにしても、戦禍の傷跡は多く存在するが、まさに世界的、あるいは地球的規模の戦争は、起きていない。
 世界的には、第一次大戦、第二次大戦と歴史的にみれば、このような大きな戦争も、わが国でも関与・交戦の立場であったが、特に、75年前に終結した「太平洋戦争」は日本の「真珠湾攻撃」から始まり、広島、長崎の原爆被爆によって、「日本国の敗戦」という、惨めな結果によって、日本の孤立的立場での「戦争終結とその戦後処理、さらに日本国としての復興」という、自らの懸命な国民の強い決意と努力の継続によって、今や、世界に冠たる「発展」を遂げた「日本国」を復活してきている。
 
 ただ、この途方もない「戦後」という言葉も聴くことに躊躇せざるを得ないほどの長い経過の中で、、この世界的であった「太平洋戦争の惨禍がともすれば、今の世代の方々に、歴史的には理解しても、実感としてこれらの戦禍を記憶にとどめていることは、いきおい、無理な事であろう。
 特に、あの惨い戦争の結果、日本国は戦後、完全に民主国家として生まれ変わり、新しい「日本国憲法」を制定し、日本お復興にひたすら専心してきた。   それは、憲法の意三原則として、「国民主権主義」「基本的人権の尊重」それに世界にそれまでにない戦争放棄の「平和主義」を掲げてきた。
 この3原則は、今の日本お中では、ごく当たり前のことであり、特別に国民が意識することともなく、むしろ、これら3原則について、時に「意識する素地」は特に若い人々につては、無関心が多いとみられる。
 社会的・経済的な繁栄の中で、ともすれば、これtらの憲法までさかのぼり、政治への関心が薄くなっている現状を視ていると、はなはだ、心細い感慨にならざるを得ない。
 この、3原則を今一度、国民の中に完全に浸透してゆく努力は、我々の戦中派のなすべき要件であろう。
特に、中でも、憲法第9条に規定している「戦争放棄」の「平和主義」には何としても、これを堅持してゆかなければならない。この平和主義こそ、今、世情不安な世界的な均衡勢力の中で、日本が率先して推進してゆかなけらばならない、「平和主義」であると思われる。
 そうであるからこそ、我々戦中時代に生まれ、あの惨い戦争を「実体験した最後の生き証人」とも言える我々が、この惨い戦禍の記憶を後世に伝えてゆく事は、我々戦中派の「義務であり、責務である」ことを意識する必要がある。

 その事で、我々鶴丸高校同期会⁅みみずく会)のホーム・ページ欄を管理している仙田博君らの提唱で、みみずく会委員のこの終戦時の貴重な体験談を網羅した文集「終戦秘話」特集号(20127年制作)を別冊で発行した。   これは、全国的に販売せれてい歴史月刊誌「歴史群像」「2017年10 月号)の「読者のページ」にも紹介されている。

 なお、この「戦争秘話」特集号が掲載されているホーム・ページの詳細は次の通りである。

  ホーム・ページ の名称
   鹿児島県立鶴丸高等学校 昭和33年3月卒⁅第9回生)の同期会ホーム・ページ
   mimizuku .org ,   又は「みみずくサロン」 でも検索可能です。
  まずはそこから、「終戦秘話」のページを読むためにのダウンロードすれば、簡単に、みみずく会員の書いてある、「終戦秘話」   を読むことができる。   是非、覗いてみて下さい。


 今年は、現在、世界的な流行ということで、コロナ禍で世界中が、感染防止のために、経済活動より感染防止のために生活自粛の「静かな日常」に押し込められている現状であるが、さすがに真夏の8月を迎えると、マスメディアも日本のこの「終戦記念日」を特集や論調なども、この「太平洋戦争」についての「話題」を俎上に揚げているが、その時だけの通り一辺だけの「扱い」で在ってはならない。
 日本は、もはや「戦争」ということすら「意識する国民は少なくなくなってきている、つまり、戦争を知らない世代の人々が大部分を占める」ということになっている。 これは歴史の必然であり、だからこそ、我々戦中派とも言える数少なくなった戦争体験者が、声高く、この欄も若い世代の方々への「遺言」としても、大きく伝承し、戦争に対する「理解」を深めてゆかなけㇾばならないと確信する。
 この「終戦秘話」にはみみずく会員の24名の方々が、それぞれ国内では」大きな連合軍からの爆撃を受けた悲惨な体験談や、あるいは中国・満州・朝鮮・台湾などの当時の日本の植民地やアジア各国などに散らばっていた人々の、戦後の内地への引き揚げ時の苦労話なども多く語られている。
 小生の父は独身時代から台湾の植民地での警察官として、終戦まで勤務しており、自分ら姉兄自分と3人の姉兄弟とも台湾生まれであり、戦後の翌年、着のみ着のまま、父のふるさと鹿児島にようやくけることができた「顛末」などについても、小生に書かせてもらった。
 これらの「記述」は、どれも、ほんとに「貴重で、稀有な体験」が綴られいる。

 是非、この貴重な戦争体験の数々を読んでもらいたいものである。
プロフィール

本○どん

Author:本○どん
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 60歳で花のお江戸での出稼ぎを終えて、20年前に故郷に羽根を下している、中期高齢者(今や、後期高齢者)のオノコです。
 家族は恋女房と二人家族で、子供は東京、福岡にそれぞれ住んでおり、それぞれ家庭人としてなんとか育っています。

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